怪物は夢を見る

雑多な思考と浮遊旅行

VRが全面的に流行らないのは何故だろう。

よく映画や漫画でヴァーチャル世界が主体の設定の話を見かける。そういう時、だいたい生活の基盤がヴァーチャル世界に成り立っていて、任意のアバターで生活を営んでいる。

  例えを挙げるなら、細田守の『サマーウォーズ』とか川原礫の『アクセル・ワールド』、(アバター使ってないけど『マトリックス』も近いかな。)のイメージだ。

 実際、僕はこういう世界観が近未来的ですげぇ!って引き込まれたタイプなんだけど、ふと気になったことがある。

 

 VRやARの技術が発達してきたのに、どうしてそれが生活にもっと溶け込んでこないんだろう?

 

 技術がそこまで発達してないとか想像世界の話だろとかそういうことで一応収まりがつく話であるのかも知れないが、ちょっと考えてみた。

 

1.宗教とヴァーチャルリアリティ

 

落合陽一さんの著書『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』に、「貧弱のヴァーチャルリアリティ」という考えが記されている。

「ここでいう貧弱のヴァーチャルリアリティとは、自らが主体的に決定できない構造的弱者が、希望を持っていくための精神的支柱のことである。」と定義し、具体例として、宗教信仰を挙げている。

 宗教といっても様々な教えがあるが、ざっくりいって「今、頑張れば『来世(あるいはこの先)』良いことあるよ。」って感じで、これを信じてまた辛い現実も頑張ろってなる。そういう意味で宗教信仰は精神的支柱になっている。

 これと同様に、例え現実が辛くてもヴァーチャルリアリティの中ならLv.100の騎士であったり、人気者であったりとすれば逃げ場(自尊心を守る場)があるし、どうにか頑張るか。と思えるわけである。

 

 

さて、ここでまた僕は疑問に思った。

 

宗教と酷似しているのに、何故VRは全面的に流行らないのだろう…?

 

宗教と酷似してるなら、VRにどっぷりハマるやつがもっと出てきて良いはずだし、生活がもっとVR寄りになっても良いと思う。でも、現状は、都会の繁華街にちょっとVRゲームの施設ができたり、気になる人がVRを買ったり、イベントでちょこっと体験する程度であるように思う。この差はなんだろう。

 

2.報酬とリンク

 

僕は、VRと現実は明確な境界線があるからだと考える。

何を当たり前のことを!!!と言われそうだが、ちょっと待ってほしい。

宗教と現実にも明確な境界線がある。神は見えないし、死後の世界なんて本当は分からないじゃないか。

 

じゃあ、何が違うか。

 

 

報酬である。

 

 

もっと言えば、報酬が現実とリンクするかしないかだと考える。

これは、宗教で言えば、「今頑張れば、『来世(あるいはこの先)』に良いことがある。」から頑張れるわけなのだが、この頑張りが『来世(あるいはこの先)』につながる(現実とのリンク感)、それも自分にとって良いこと(報酬)の二つがある。

一方、VRでは、例え自分がLv.100の騎士であろうが人気者であろうが、現実にはさして影響がない。

 

VRで魔王を倒そうが貯金は増えないし、美人の娘は嫁に来ない。いくら人気者になろうが、自分のヴィジュアルは変えられない。

 

 VRで得られた報酬は、VRでしか発散できない。

このように報酬が現実にリンクしないことが宗教と違って、VRが全面的に流行らない要因の一つだと考える。

 

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以上がしがない学生の僕が考えた要因である。

いろんな考えの人がいると思うが、僕のこの乾いたスポンジのような頭に何か知恵を与えようとしてくれる人がいたら嬉しい。僕はまだまだ学び足りない。

 

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